僕の手は文鳥のベッド

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zoom RSS 最後の1羽

<<   作成日時 : 2011/12/30 00:05   >>

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画像2011年5月14日、シナモン文鳥ぶんたも浄土へ飛び立った。行年8歳。

ぶんたも、亡妻が知人から里子にもらい受けた鳥だった。2002年7月「文月」に2羽来たので、「文太(ぶんた)」「月(つき)」と名付けた。
その頃、うちには多数の文鳥が来て飼いきれなくなり、ぶんたはいったん別の知人の里子に出した。ところがその直後、残り5羽をいっぺんに亡くす事故が起こった。妻は悲嘆に暮れ、ぶんたの里親に頼み込んで、ぶんたをうちに戻してもらった。
ぶんたを預かってくださった里親は文鳥飼育のベテランで、人に慣れさせるため夜間はずっとかごから出して遊んでくれていた。おかげで、ぶんたはわが家に戻って来た時には、手で包み込んでも逃げない「握り文鳥」になっていた。
冬は手のひらを差し出すとすぐその上に座り込み、熱いお腹を手のひらにぺたんと押しつけて眠ってくれた。手のひらに文鳥の寝息と体温を感じているこのひとときが毎日幸せだった。
つがいは組まなかったが、同じ雄のアーチャーのことを好きなようで、いつもアーチャーの後をついて歩いていた。アーチャーのかごとぶんたのかごは隣どうしに並べてあったが、夜になるとお互い隣のかごに一番近い所にとまって、2羽寄り添うように眠っていた。
2011年2月に桜文鳥アーチャーを亡くしてから、ぶんたも元気がなくなった。かごをあけるといつもはアーチャーについてソファに飛んで行っていたのが、かごから出なくなった。美しいさえずりも聞かれなくなった。
5月のある朝、声がしないのでかごを見ると、ぶんたが床に横たわり冷たくなっていた。

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アーチャーとぶんたは、妻が遺していった鳥で、妻の最期を目撃した鳥だった。
その夜、私は妻のいつもの「早く帰って来て」コールがないことに不安を覚えながら、まだ真新しいマンションのドアを開けた。リビングの大型プラズマテレビが、ブルースクリーンのままつけっぱなしになっていた。
妻はいすにもたれかかっていた。眠っているのかと体を起こしてみたが、すでに冷たくなっていた。私はまだ、目の前の現実を受け入れられなかった。110ではなく119を回した。
まもなく救急隊員が靴を鳴らして上がって来た。熟練した手順で妻を確認し、奥さんはすでにお亡くなりになっている、この場は警察に引き継ぐ、と救急隊員は告げた。まもなく数名の警察官がやって来た。茫然としている私の横で、現場検証が行われた。
遺体は警察に運ばれ、私も警察署に行った。私は刑事から質問を受けた。と言っても取調室ではなく、事務室で簡単な質問を2,3されただけだった。夜の警察署の廊下で、私は声を上げて泣いた。妻が生き返ってくれるなら、私はどんな処罰を受けてもよいと思った。もちろん妻が生き返るはずもなく、私は法的には何のとがめも受けず、新妻を突然亡くした気の毒な夫として丁重に扱われて警察署を後にした。

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3年前の2001年、私と妻、双方の親の猛反対を押し切ってまで始めた結婚生活だった。結婚前、親は私を勘当するといい、私も売り言葉に買い言葉で、骨だけは拾ってやると言い放った。親は泣いた。本当に絶縁する寸前まで行った。
関東での司書の仕事を病気休職していた妻は、最後まで復職を強く願っていた。妻をよく理解している主治医に診てもらうため、妻を連れて毎月1度上京した。診察の後は、いつも妻の好きなカニ料理の店でランチをとり、動物好きな妻につれられて水族館や動物園を回った。
結婚してから海外旅行に3度出かけた。ピカデリー・サーカスの雑踏の中に妻と二人で立った時、私は愛する妻と地球の裏側のこんな遠いところまで来た、と実感した。
パリに行った夜、妻は旅行会社のお仕着せのオプショナルツアーをいやがり、下町のレストランに行って交渉して、二人だけのディナーをセットアップした。お金なんかかけなくても幸せになれるのよ、というのが妻の口癖だった。
ローマではタクシーでなく路面電車に乗った。降りる駅は、乗り合わせた地元のお年寄りが教えてくれた。イギリス、フランス、イタリアと回って、イタリアが一番いいねと二人の意見が一致した。イタリアは建物はどれもオンボロだけど、料理がおいしいし、みんな楽しそうに生きてるよね、と。
オーストラリアへは2度行った。旅行会社のオプショナルツアーで行ったロブスターの店がとてもおいしかったので、翌晩のフリータイムに同じ店に出かけて、昨夜のと同じメニューを出してくれと妻が交渉した。店は快く承知してくれた上に、旅行会社にピンハネされない分サービスしますと言って、前夜の2倍の料理を出してくれた。どんだけピンハネされてるんだよ、と二人で大笑いした。

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妻は動物がとても好きで、いつも文鳥やインコ、ハムスター、リスを飼っていた。店で買うことを好まず、友人から里子としてもらい受けていた。ぶんたもアーチャーも、里子としてヒナの時にわが家にやって来た小鳥たちだ。
ヒナの成長記録は私が写真に取って、妻がメールで、譲り受け元の人たちに報告していた。「食欲旺盛で元気です」「さえずりの練習を始めました」「大人の羽に生え替わりました」…

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住まいについては妻となかなか意見が合わず、3年間に3回も引っ越した。結婚当初は郊外の新築マンションだったが、都会暮らしに慣れた妻にはひどく苦痛だったようで、3ヶ月で大阪都心部の古いアパートを妻が見つけて来て、二人で引っ越した。築30年1LDK。ワンルーム住まいの長かった妻は「これぞ私の心のふるさと」と言って、水を得た魚のようにイキイキしていた。「魔法の収納術」と称して、嫁入り道具に持って来た大量の漫画、ビデオ、衣類を本当に魔法のように片付けてしまった。私の半生で一番質素な住まいだったが一番幸せな時だった。「幸せは家で決まるのじゃないのよ、家族で決まるのよ」というのも妻の口癖だった。
このころは都心に分譲マンションが建ち始めた最初の時期だった。おんぼろアパートの近くにも最新型のマンションが竣工し、私は初めて自分の持ち家を買った。全室に光ファイバー、衛星放送受信設備が張りめぐらされ、オールフローリングにガスセントラルヒーティング、オートロックにモニターカメラ付きインターホンにシリンダー錠。おんぼろアパートとは雲泥の差だった。
妻はバレエ、オペラ、フィギュアスケートを見るのが大好きで、新居でもさっそく衛星放送をビデオに録画してずっと見ていた。私もテレビ好きなので、大型プラズマテレビを買って来てリビングに置いた。近くのスーパーが閉店セールをやっていると妻に教えられていっしょに行き、当時50万以上していた42型テレビを30万で買えた。テレビを置く台までおまけで付いてきた。妻は「私はとても買い物上手なのよ」と自慢していた。
冬になると、妻はガス温水床暖房の床に寝転がって、とても気持ちいいと喜んだ。妻は重い本を運ぶ司書の仕事をしていたので、慢性の腰痛に悩んでいた。暖かい床にラグを敷いて昼寝すると腰痛が和らぐのよと言った。「すてきな家を買ってくれてありがとう」と言った。
住まいのことで妻に感謝されたのは初めてだった。そしてそれが最後になった。

*************

妻が亡くなっていたリビングでは、その夜、いつも通りアーチャーたちが鳴いていた。テレビはビデオテープが終わったことを示すブルースクリーンのままになっていた。アーチャーもぶんたも、その大きな瞳で妻の最期を見ていたはずだ。
三年足らずの結婚生活はこうして終わった。
私はまだ真新しいマンションを売り払い、故郷に戻った。

**************

あの夜から7年、妻の遺した鳥たちも、みな浄土へ旅立った。
私は今、だだっ広いリビングにプラズマテレビを置いて、一人で見ている。
今や旧式になったこのテレビは、400Wもの電力を食う。私の住む町にも節電要請が来たので、今日、100Wの液晶テレビを発注した。サイズは同じ42型。閉店セールでもないのに値段が10万円を切っていた。時の流れを感じた。
正月には新しいテレビが届き、妻と見たプラズマテレビはリサイクル工場へ引き取られる。
妻が遺した大量の本も、今日、最後の一箱を古書店に発送した。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ぶんちゃん、おやすみなさい。
もう、寂しくないからね。
通りすがり
2012/05/21 22:08
通りすがりさん、温かいコメントありがとうございます。
padda
2012/05/27 15:02

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